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長崎の日に

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 今年も長崎の日が来た。
 昨日の暑さは長崎ほどの焼けるほどの照り返しはなかったが、それでも充分に暑かった。
 広島に続くセレモニーで長崎市長は人の手に余る核はたとえ平和利用であってもなくすべきだという方向を主張した。
 一方、喉元過ぎたマスコミは今夏の電気の使用状況を刻々と伝えて「原発がないせいで日本の電力は足りない」と言っている。
 本当だろうか?穿った見方をすれば、東京電力連合艦隊が今止まっている原発を稼動させないととんでもないことになると脅しているようにも見える。(もしそうであれば、とんでもなく卑怯な連中だが。)
 しかし、日本人はいつから在る分で我慢できない国民になってしまったのだろうか?眩いほどの東京の繁華街の光の代償が今回の被爆だったかと思うと腹立たしい。
 普通の関係だったら例年通り京都の五山の送り火で使われるはずだった陸前高田の松明は言われもない「放射能」を理由で断られた。自分の「いやさ」というわがままが被災地の辛さを越えた瞬間だった。自分を前面に出す時の欧米人の様で嫌だった。
「人間を幸福にしない日本と言うシステム」を書いたウォルフレン氏だったら何と言うであろうか?

コモン・ロウ

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 呆れるばかりの姑息な手段で延命成った菅政権は、この先どうするのだろう?取りあえず首相は続けられそうだが、この一件で身内にもさらに多くの敵を作ってしまったからだ、しかも相当根深い、、、。
 時流なのだろうか、この政権はとりわけ文章による合意事項を重視する。パフォーマンスだけの首相は行間を読み取るのが苦手らしく、言質を取られまいとしてしきりに用意したメモだけを頼りに自分の正当性を主張している。「誤解したのは受け取り側に問題がある」?
 恥ずかしすぎる。間接的にでもこんなリーダーを選んでしまった国民は不幸すぎるではないか。

 英国に見る習慣法はもちろん、成文法においても、行間が重要な要素になるわけだから、こんなセンスの人に立法を任せておいていいものだろうか?行政の長は立法の議員でもあったのだ。
 

公開が原則

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 今回の原発騒動で、日本には「原子力基本法」と言うものが存在し、その2条で「平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下に、自主的にこれを行うものとし、その成果を公開し、進んで国際協力に資するものとする。(民主・自主・公開の平和利用3原則)」としていることがわかった。
 「公開?」されてないぁ。震災と同時に起こった原発事故、爆発等々、当時からの“SPEEDI”が公開されたのもつい最近のこと。
 とにかく、「原発事故は収束に向かいつつあり、すぐに人体には影響がないレベル」という報道ばかりが伝わってきた。
 で、今はと言えば、東電はメルトダウンしたことを認め、先週ベントが開かれることを発表した。やっと「公開の重要性に気付いたか?」と思っていたが、よくよく考えてみたら、爆発から60京ベクレムと言うとてつもない数量の放射性物質を放出してしまっている今となっては、ベント開放によって出てしまう量などたかが知れていると思っているのだろうか?
 これからも空気の汚染度ばかりでなく、海の汚染度、土の汚染度、ものの汚染度など、都合の悪いことをも含めて素直に発表してほしいものだ。

放射線防護学の見地から

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 ジャーナリストの江川昭子氏は、問題となっている子供の放射線レベルについて、原子力安全委員会担当内閣参与の記者会見で、この値を支持した人の1人として名指しされた本間俊充氏((独)日本原子力研究開発機構安全研究センター研究主席・放射線防護学)に電話インタビューしているので、参考までにご覧ください。

⇒ http://www.egawashoko.com/c006/000330.html

 お上の示した数値にばかり気を捕らわれるのではなく、現状の高い数値を認識し、皆で低くするための努力をすることを忘れていました。「マスコミに踊らされない」ということはこういう取材だと強く思いました。

土壌汚染

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 福島県は県内の全小中学校や幼稚園施設などの放射線量を測り、線量の高い施設を公表した。その結果、濃度の高い施設は13校となっていたわけだが、小学校一校が対象となった郡山市はその近辺校も含めて校庭の表土を除去することを決定した。
 親御さんの気持ちを察すれば、汚染土の除去は当然のことであろうが、除去された汚染土は飛散防止処理をされているとはいえ元の校庭に残されることになった。汚染土の受け手がいないのだ。
 と、いうことは、早晩汚染土がまた校庭を覆ってしまうことになる?
 笑ってる場合ではない。
 こうなったら、東京電力に引き取ってもらうほかあるまい。

信じきれない日本に

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 毎日新聞によれば、政府(文部科学省)は福島県内の幼保育園と小中学校の校舎などを通常利用する際の限界放射線量を、1時間当たり3.8マイクロシーベルトに設定すると発表した。この基準を超える教育施設は13校(!)にのぼり、郡山の環境放射線暫定測定値の1.75シーベルトを大きく上回ることになる。
 が、相変わらずどこの校舎がそれに当たるかは発表にない。
 県の災害対策本部に確認したところ「県のホームページに出ています。」との回答であった。さらに詳しく説明を求めたところ「詳しくは文科省のHPを見てほしい。」とのことだった。
 「この期に及んでタテワリ?」被災地区の住民にほしい情報はすぐにワカラナイ。どこか他の国に移民したいくらいだ。
 文科省は今回の発表を事前に県にも知らせていなかったらしい。明日になれば、大勢の父兄から学校に問い合わせがあるだろうことは誰にでも想像がつく。隣国に黙って放射能で汚染された水を放水してしまったこととよく似ている。政府はACのコマーシャルで「思いやり」を説いている場合ではない。
 県の担当者も文部科学省の出先機関のような感覚ではダメだ。
 通わせている親の身にもなってくれ!
 

いよいよ復興構想会議

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 当の玄侑宗久氏もさぞ驚かれたことだろう。
 13日に決まった復興構想会議のことである。しかもその第一回目の報道には「復興税」の文字が躍っていたからだ。
 まだ、原発の問題も進行中であり、被害の総額も出ていないのに、である。
 おそらく、この会議は今後の復興のあり方を示す重要な会議となるであろうが、具体的な復興の資金の裏付けだけを話し合う場ではないはずだ。まだ被災は進行中であり、まだまだ、終わってはいない。復興を構想するのも早すぎるのかもしれない。
 そんな中、首相と議長である五百旗頭氏は早々と「復興税」なるものをこの会議の中心議題の一つとして提案してきた。
 これは由々しきことである。被災地のことも思いやれない政府の体質が浮き彫りになったかたちだ。
 「具体的」と言えばすぐに「お金」という構図は「ただ元に戻すという復旧ではなく、改めてつくり出すという、創造的な復興をお示しいただきたい」と要請をしていた首相にしてはあまりにも固定概念に縛られすぎではなかろうか。
 当初は「原発問題」を除外する動きもあったようだが、特別顧問に梅原猛氏、東北関係者として玄侑宗久氏を交える会議だから「変」な方向に行くことはないだろうと安心はしているが、いつものように船頭多くして船陸に上るということのないようにしていただきたい。

大本営発表のダイジョウブ

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 今の政府には、皆、相当に頭にきている。
 それは、一々の対応が遅いばかりか、放射線数値などに正直なデータとは思えない数値が度々使われていることだ。
 NHK日曜日夜の玄侑宗久師と吉岡忍氏の対談でも明らかにしていたように、3月15日(3号炉爆発の日)のデータが風向きなどの気象データも含めて消えている。
 3号炉爆発と同時にかなり大量の放射能が飛散していたのではないか?
 いったい何があったのか???

 大本営発表のデータを元に自主避難を迫られている福島県民、特に飯館村の住民はたまったものではない。これでは判断できないではないか!
 県産野菜もそうだ。特に葉物はハウス物、露地物区別なく出荷停止となっている(イチゴやきゅうりなどは除外品)。
 政府は今更ながら、県単位の出荷設定を見直すようだが、時既におそしで国民の政府数値に対する信頼感は地に落ちている。
 第一原発の現場では高濃度ではあるが比較的数値の低い放射能に汚染された水を排水し始めたようだが、早速「黙って排水するなんて、酷いじゃないか」と韓国、ロシアなどから次々と抗議を受けている。
 確かに、これは酷い!
 国民ばかりか隣国の友人達も巻き添えにしている。
 いつになったら、現状を現状を教えてもらえるのだろうか?
 混乱を防ぐことが念頭にあるなら、これほど人を馬鹿にした話はないだろう。
 政府こそが不安の元凶であるし、人災の大本でありましょう。
 

いんちきなデータに

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 被災で計器が足りないからと言って、いまだに放射線量を測る携帯線量計も持たずに、福島第一原発内で作業をしている下請け企業の作業員のことを思うと心が痛い。また、この事実を知らされたご家族の胸中はいかばかりか…。
 
 ご存知のように、福島県では定かでない数値を根拠にして、政府の一方的な指示で葉物野菜が全面出荷停止となっている。
 それはハウス野菜か露地野菜かの区別もなく、である。
 そして、この24日には、ついにまじめなキャベツ農家を自殺に追い込んでしまった。

 いい加減な数値を根拠とした「安全」を謳う政府発表にはヘキヘキしているが、もはや天災は完全に「人災」に移行している。
 そろそろ、政府は所々で不完全な数値を出して専門家に責任をなすりつけるような発表は止めてもらいたいものだ。

 国に一方的なダメ出しをされた福島県は尾ひれの付きまくった風評被害を払拭するために、9,900平方kmという広大な農地に70個所の検査を自ら設けてかわそうとしている。
 昨晩、枝野氏が語ったように、いまさら政府が「(テキトウな)モニタリング数値が出れば出荷制限を解除する仕組みを作る」としところで、風評被害はエスカレートするばかりだろうし、私には「こんなことはできませんよ」というメッセージにしか聞こえなかった。

 福島県もこんな当てにならない政府の検査結果を待つくらいだったら、希望者全員にガイガーカウンターを配って、せめて放射能が出ているかどうかだけでも、直に判断できる材料がほしいものだ。

“ふるい”にかけられる

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 被災から、あっという間の2週間だった。
 当日の激震はその後の強めの余震でさえ生活の一部に変えてしまうほど強烈なものであったことは事実だ。
 被災後の5日間ほどは断水があって、そのあとは給油や買い物のために散々行列に並んだ記憶しかない。 今は帰宅前のスクリーニングが日課となっている。 スクリーニングとは「ふるいにかける」という意味らしいが、毎日ふるいにかけられに総合体育館に通っているわけだ。
 確かに長い地震だったが、まったく放射能汚染の件でこれからどれほどの時間を費やさなくてはならないのだろうか?
 
 原子力発電の安全性に対しては以前からかなり懐疑的であったが、今回の件で国は国民の命よりも電力確保を重視していたことがハッキリした。 まさかの結末ではあったが、こうハッキリされると受ける方の震度はかなり高い。 「想定外」とか「未曾有の」ということで許される話ではないことだけは特に「言い訳上手」の国務大臣には憶えておいてほしい。

浦島太郎

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 あっという間に月日は流れ、クラッシュしたのは3ヶ月も前になっていた。
 この間、意外にも(?)コンピュータを直していただいた☆さんから渓流釣りをご伝授いただけることになり、ついに我が家にも道具が置かれることになった。
 「☆さんの釣りに対する接し方」に惚れたのははあくまで「漁」ではないというところ。
 そのスタイルは「魚にひと時遊んでもらう」ということで貫かれていて、釣れた魚はほとんどリリースされている。なんとスマートであることか。
 ガツガツしない☆さんの生き方に共感している此の頃であります。

 今回のクラッシュを機会に現状と少しづつずれてしまったこのホーム・ページをリニューアルしようと考えています。
 インシュアランス・ニュースはしばらくお休みです。
 

クラッシュ

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 デスクトップを持ち歩いていたら、ハードディスクがクラッシュしてしまった。特に急ぎの時など、うっかり電源をつけっ放しで持ち歩いていたのが原因らしい。
 超高速で廻っている円盤だから、移動させたら例え微振動でも影響が出ないはずはないのだが…。こんな当たり前のことを忘れるなんて、我ながら情けないし、おかげで、もう2週間以上自分のコンピュータが使えない。

 私の中でも「世の中は便利」になってしまって、日頃の生活に油断があったのかもしれない。いや、油断どころか、思い返せば、毎日が隙(すき)だらけなことに気づくわけですが…。
 別に、故障したことだけを反省しているわけではなく、いつも世話になっているコンピュータを大事に扱ってあげなかったことに対する後悔である。
 福聚寺から戴いた御札には「恩を知るは大悲の本なり」とあったっけ…???。

 というわけで、昨日コンピュータについては、ほぼ修復しましたが、メールについてはもうしばらくお待ちください。

ヒンカク

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 横綱のヒンカクを問う人にどれほどの品位が備わっているかは大いに疑問だが、渦中の朝青龍は、引退会見をする以前から辞めるのかどうかというただ一点から議論されていたように思う(その他のことは枕詞のようなものだった)。
 確かに朝青龍の多くの振る舞いには好ましからざるところもあったようだが、そのほとんどは個人の好き嫌いの範疇であり、ヒンカクを持ち出すほどのことは一つもなかったように思う。
 相撲興行にヒンカクをいうなら、相撲協会全体にも言えることで、出来レースだった「理事選」でのな出来事に相撲協会の現実を見せ付けられたばかりではないか。
 あまりに「品格」「品格」と皆が口を揃えていうからTV局まで興行の一部かと思ってました。
 あの人たちは、「ガイジンには絶対に分らない日本の文化」なんて、本気であると思ってるんだろうか?

新しい時代

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 新年をも通り越して、この18日をもって54歳となりました。
 正月のように、素直に喜ばしい事なのか、一歩また死に近づいたことを悲しむべきなのか、「訳がわからない」というのが、今の正直な感想。
 さすがに54回目ともなると、「誕生日」が特別な日でなくなってはいるが、ただ、今まで生きさせていただいたことには、素直に「感謝」を感じています。

 そうした私にとって、(去年の9月30日コラムのとおり)ますます「去年、確かに時代は変わった」ということを確信している。
 この10月からの3ヶ月を観ても、いろいろな仕組み(システム)や決め事(ルール)が実態生活にそぐわない場面が急速に拡大しているのが分る。
 その証拠に、“おとな”達の叫ぶ常識や“通常の…”という言い方には“無理”を感じる機会が多くなってきたし、TVなどに出ている“有識者”の発言にはうんざりするほど“トンチンカンさ”が目だってきているではないか…?
 そろそろ本物のジャーナリズムが生まれる“時”がきてもいい時期だ。
 「足利事件」でも報道機関は検察の非道を伝えるだけではなく、当時本件を警察報道のまま報道でした全てのマスコミは菅家さんに謝罪することから続報をすべきであろう。
 そして、この反省を踏まえるならば、小沢氏の問題も意図的なアンケートを背景にした“民意”を振りかざしている場合ではないのだろうか。
 事件は違うが、被疑者を犯人であるかのように扱うところなど、そっくりのように思う。

我欲

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 鳩山政権が発足した今月は、いろんな意味で時代の変化を強く感じさせられた月であった。それは各省庁に見られた政府の変化のせいであり、マスコミをはじめとする関連システムの戸惑いのせいでもあった。

 時代の変化を特に感じたのは訪米中に世界に向けて発信された首相演説だった。スピード感ではナンバーワンであっただろう。
「日本は、2020年までに温室効果ガスを1990年比25%削減する」
というメッセージは正に新しい時代を伝えるに相応しい立派な演説だったと思う。
 この国際公約は、温室効果ガスの地球環境に及ぼす影響の深刻さを物語り、さらにその問題に立ち向かう日本国の姿勢を見事に表すものだったからだ。
 当然、この演説を聞いて地球の存亡がかかっていることを再認識した人や国々からは賞賛された。
 しかし、ご存知のように、肝心の、しかも身内の産業界とマスコミからは、否定的な意見が多く寄せられた。人類の危機が迫っているというに、まだ自益優先を持ち出すか?
 日本の“一流企業”には、酷く嫌悪感を覚える。
 さらに「…25%削減ということは、国民一人当たりXX万円(あまりにも馬鹿げていて数字を忘れました!)にもなる」という一方的なデータまで出て、それぞれが少しでも自益を確保しようとする動きにでている。
 自国益のためには、みんな死んだっていいということか?
 いつから、こんな身勝手な国になってしまったのだろう?
 嘆かわしい次第だ。

ごり押し

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 八ッ場ダムでは「政権交代」が住民の意見をも二分する事態になっている。
 当初、ダム建設に反対していた住民たちはほとんどいなくなり、今、その子孫たちの多くが、建設中止に反対している。
 まさに国の政策に翻弄されて続けてきた住民ともいえるが、それだけ、長い時間をかけて国が、あるいは国土交通省がごり押しを続けてきた結果とも言える。
「国が過ちを犯すわけがない」という不文律は、いろんな場面で、こうして作られてきたわけだが、手の下ろし方を知らない(あるいは下ろしたくない?)国土交通省の役人たちは、どうやって大臣に従い、どう住民の人たちに説明していくのだろうか?。
 彼らの本意はどこに…?

祝!変化

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 一昨日の朝は久しぶりにスッキリした朝を迎えられた方も多かったのではないだろうか。
 特に、私のように生まれた時からず~っと政権を握ってきた自民党政権の下に生きてきて、慣らされ、その様式以外の想像力を奪われてきたと思っている者にとっては尚更そうだ。
 時代はやっと同党の体たらくを嘆く時期を過ぎ、あきらめることを止める時に入った。
 もはや恨みつらみを言うつもりはないし、懐古するには時代が経ち過ぎていると思う。
 新しい時代の歩みとともに、これからは一々あるべき姿を今まで以上に思考できると思うと楽しみである。

再編

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 ご無沙汰しました。
 私はここ二ヶ月強ほど“人事の相談”を請けて依頼人のところに張り付いている。
 組織の再編とという仕事は今風で魅力的だったし、新しいことに向かう仕事はいつもながら気持ちがいい…。

 この間、世の中は豪雨被害の話題に続き衆院選と、なかなか賑やかだったが、そこにノリピ-とインフルエンザが加わってニュース混戦の様相を呈している。
 政権選択選挙は佳境に入っているにもかかわらず、中だるみ感が否めないのは、今回の選挙がやはり長すぎたということだろうか?
 それにしても、「こっちも駄目だが、あっちも駄目」的な報道が長く続いたために、議論が微細な点にわたってしまい、結局“今に不満だ”から「こっちを選ぶ」的なネガティブオプションとなっているのが、私の周りでは趨勢のようだ。
 ただ、ネガティブオプションにしても、政治に対する関心が高まることはいいことで、関心が高まれば監視が高まり、無知を利用する輩が減ることは期待できる。
 今までのように、分らないのにイメージで任せる政治が根絶できれば、今よりましな国になるのは明らかではないだろうか。
 何故なら、組織は変化し続けないとすぐに実態(国民)と遊離してしまうものだからである。

国民の程度

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 「国民の程度」発言は細田氏でなくとも、誰しも一度は思ったことのある感情だと思う。
 大抵はマスコミだったり、政治家だったり、国民!と、まとめて呼んでいる人たちばかりでなく、いつもそう呼ばれている側にも少なからず存在している感情だからややこしい。
 私などは、世論調査や選挙の結果を見るたびにセンスが悪いとか、程度が低いとか、思っていたほうだから、珍しく今回は細田氏と意見を一にした。(細田氏は発言を撤回している)

 しかし、当然「国民」とは、国民そのもののことではなく、伝聞によって作られた一部の「国民」の印象であり、そもそも集合体である「国民」に顔はないわけだから、むしろ、そういう印象を与えてしまった「国民」の側にに責任があるわけではなく、そう受けている受け手の責任であることがほとんどではないだろうか?と思うようになった。
 つまり、印象を語る人の品位が(この場合)「国民の程度」を決定付けていることになる。
 そう思うと、最近は国民の程度を問う前に、自分の品位を恥じる次第なのです。

ブン

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 私の周辺では、いつの間にか「麻生クン」の愛称で呼ばれるようになっていた現首相だが、まだそう呼ばれていた頃は「できの悪い親戚のオジサン」くらいの愛情は残っていたと思う。まだ、彼の本質が判らずに「カンジ読めない」「空気読めない」くらいの情報が盛んに飛び交っていた頃だった。
 新首相は「吉田茂の…」とは知っていたが、出自の良さを一向に感じさせない独特の物腰やたたずまいは、結構不思議な存在だったと思う。それは一点「品」が無かったことだ。
 この時代にバブル並みのグロさは目立ちはしたが、誰も彼に期待する人はいなかったのではなかろうか。
 それでも「解散までのナカツギだから…」と気を許したのがいけなかった。 このままではズルズルと(何もせずに)首相職に居座られてしまう。国民は次に退職金を盗られてしまうのだろうか?

 ご本人は外交が得意だと思っておいでで、さっさとG8に行ってしまったが、得意だと言っていた「経営」にしたところで、麻生セメントや麻生病院は、左前にしたのが太郎氏で、それを立て直したのが優秀な弟であったことは有名な話だそうだ。
 案の定、G8では各国首脳に相手にされていない。
 結局、首相職は麻生氏には荷が重すぎたのだった。
 見栄を張らずに、弟を呼べばいいのに…。

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