
今年も長崎の日が来た。
昨日の暑さは長崎ほどの焼けるほどの照り返しはなかったが、それでも充分に暑かった。
広島に続くセレモニーで長崎市長は人の手に余る核はたとえ平和利用であってもなくすべきだという方向を主張した。
一方、喉元過ぎたマスコミは今夏の電気の使用状況を刻々と伝えて「原発がないせいで日本の電力は足りない」と言っている。
本当だろうか?穿った見方をすれば、東京電力連合艦隊が今止まっている原発を稼動させないととんでもないことになると脅しているようにも見える。(もしそうであれば、とんでもなく卑怯な連中だが。)
しかし、日本人はいつから在る分で我慢できない国民になってしまったのだろうか?眩いほどの東京の繁華街の光の代償が今回の被爆だったかと思うと腹立たしい。
普通の関係だったら例年通り京都の五山の送り火で使われるはずだった陸前高田の松明は言われもない「放射能」を理由で断られた。自分の「いやさ」というわがままが被災地の辛さを越えた瞬間だった。自分を前面に出す時の欧米人の様で嫌だった。
「人間を幸福にしない日本と言うシステム」を書いたウォルフレン氏だったら何と言うであろうか?


















